「悩みを巡る冒険 2」
今回は、悩みの源流を訪ねてみようと思います。
悩みの川を遡(さかのぼ)ります。
職場の人間関係で悩む37歳・女性のケースを見てみましょう。
今の職場に派遣で来て3ヶ月。お互いに反目し合っていた同僚のAさんとBさん両方に、
個人的な感情を職場に持ち込まないようお願いをしたら、
二人から攻撃的なメールが届くように。
自分は悪いことをしていない、と思いながらも、気分は落ち込みます。
なぜ気分が落ち込むのか、その一番の原因は何なのでしょうか?
自分にまったく非がないと思われる場合、いわれなき攻撃を受けても、
人は意外に落ち込みません。
例えば、車で信号待ちをしていたとき、後ろから追突されたとしましょう。
相手が何を言ってきても、明らかに相手の前方不注意です。
こちらには何の落ち度もありませんので、怒ることはあっても悩むことはありません。
問題は、もしかしたら自分にも非があった? と考えられる場合です。
人間関係のもつれは、その典型例でしょう。
37歳女性の場合、自分は正しいことをしたと思っていても、
例えば、言い方が悪かった? とか、 みんなの前で恥をかかせた? とか、
自分にも反省すべき点があるように思えてくるのです。
人間関係において、100%一方が悪い、ということは稀です。
相手に投げかけた矢が、自分に返って来たわけです。
攻撃的なメールに次第に追い詰められ、 謝った方がいいのか、でも、自分は謝らなければならないようなことはしていない、
でも、言い方に配慮が足らなかった部分はあったわけだし、自分にも至らないところもたくさんある…と、グルグルし始めます。
その攻撃メールも、まったくいわれのないメールだと、あまり気にならないのですが、
少しでも思い当たる部分があると、どんどん気になっていきます。
いつのまにか、悩みの迷路に迷い込んでいるのです。
悩みの源流、それは「自分」です。
では、なぜ自分に非があると思うと、人は悩むのでしょうか?
なぜ、自分に矢を向けてしまうのでしょうか?
それはどこかで、私たちには、
「自分はできている」という思い込みがあるからなのかもしれません。
もしくは、「自分はできている」と思い込みたい欲求。
悩みは、「できている自分」というメッキが剥がれ落ちるときに生じる葛藤なのです。
もう一歩、さらに源流を遡ってみましょう。
では、なぜ、人には「できている自分」=「理想の自分」があるのでしょう? 
言ってしまえば「幻の自分」を、なぜ作り上げてしまうのでしょうか?
これは、次回に考えてみたいと思います。
 

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