悩みの理由
例えば、道に迷った時、いま自分がどこにいるのか、だいたいの見当がついていれば、そんなに慌てることはありません。
ところが、右往左往しているうちに、自分がどこにいるのかすっかり分からなくなってしまうと、足元から不安感がヒタヒタと忍び寄り、パニック状態に陥ってしまうことがあります。
山登りなどは、より、その傾向が強まります。
霧で周囲が見えず、自分がいま何合目あたりにいるのか、それさえも分からなくなってしまったら、どうでしょう? 日も翳ってきて、体も疲れてきたら尚更です。
悩みも、これと同じような側面があります。
例えば、上司のパワハラに悩んでいる人がいるとします。
あるかないかのミスを、事あるごとに指摘され、その度に「いつまで経っても新人のようなミスを繰り返してるんじゃないよ。この仕事、向いてないんじゃないの?」と、周囲に聞こえるように大声で叱られる毎日。
しかし、上司の意図がどうであれ(自分を潰そうとしているのか、伸ばそうとしているのか、単なる感情任せなのか)、ミスをなくすことに集中すれば、
自分もスキルアップし、周囲の人に迷惑をかけることも減ります。
ところが、この上司に業を煮やし、怒りや恨み、恐怖心など、マイナスの感情が心を支配し始めると、肝心の「ミスをなくす」という最上の解決策は影を潜めてしまいます。
逆にクローズアップされるのは、「上司から逃げたい」「出社したくない」「仕返しをしたい」など、本来の解決策からは遠く離れたものになりがちです。
事の本質がぼやけてしまい、まさに五里霧中状態に陥ってしまうのです。
なぜ、自分の悩みは生じたのか?
これは、自分を苦しめるための悩みなのか、それとも、「ミスをしない人」にするための悩みなのか?
もし、悩みを前向きに捉え、それをステップアップのキッカケにすることができれば、マイナスの感情に取り込まれることはなくなります。
自分の悩みも上司のパワハラも、意味があったことになるでしょう。
悩みの理由、悩みの意味、それを知ることは私たちを楽にさせてくれます。
不安は和らぎ、霧は晴れ、いま、自分がどこにいるかが把握できるようになります。
しかし、それだけで終わってしまうのは、少々もったいない気がします。
悩みの種は、四六時中、いたるところに転がっています。
ということは、四六時中、いたるところで悩みの理由を、意味を見つけようとするのでしょうか?
悩みの内容によって、意味づけは様々でしょうが、
悩む理由はたったひとつ、「成長」のためだと考えることはできないでしょうか?
自分がどこにいようと、何合目にいようが、その場所にいる意味は、すべて自分の「成長」にあるのだと。
そうすれば、悩むたびにその理由を探す必要はなくなります。
そして、悩みの理由や意味を探さなくても済むようになると、
人は悩むということがなくなります。
 

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