わからない毎日にバンザイ!
毎日が楽しくてしようがない、そういう人は当然ながら悩むことがありません。
何が起こっても楽しむすべを知っているわけですから、不安になりようがありません。
いやいや、そんなことはありえない。 体調が優れなければ、仕事がなくなれば、家族に不幸があれば、楽しめる訳がない…。
しかし、楽しむすべを知っている人は、どのような環境下にあっても、楽しむことができます。
それがどうしても信じられない、という方には、少し表現を変えてみましょう。「楽しむ」という言葉を「味わう」に変えてみたらいかがでしょうか?
あらゆることは経験です。私たちの毎日は新しい経験の積み重ねです。
同じ一日を何度も繰り返す、というゲームのような映画がありましたが、同じ一日と言っても、主人公の対応・行動は、その都度異なるわけですから、これも新たな経験の積み重ねに他なりません。
その、新しい経験を味わうこと、好き嫌いを言わずに味わうこと、これができることが、「楽しむ」ための第一歩だと思われます。
それは無理な相談だ。
新しいことは何が起こるかわからず、苦痛をともなうかもしれないのに、なぜそれを味わうことができるのか、不安になるだけではないのか。
そうです。確かに何が起こるかわかりません。
決まりきったように感じられる日常生活も、実は、次の瞬間に何が起こるか私たちにはわからず、多分自分の予測通りに進むであろう、という漠然たる期待の上で成立しています。
そしてもっと言えば、この世界も、私たち自身についても、わからないことだらけです。自分がなぜ、いま、ここにいるのか、その意味と理由を知っている人は殆どいないでしょう。
わからないことで不安になるとしたら、自分も含むこの世界は、わからないことだらけなのですから、不安の固まりになるしかありません。しかし、不安の固まりになっても、何がわかるわけでもありません。
一方で、どうあがいてもわからないのなら、人知を超えた奇跡のような毎日を、味わってみるのも一興です。
「杞憂」という言葉がありますが、空が落ちてくるのを心配するか、空が落ちてこない奇跡を喜ぶか、それはあなたの選択次第なのです。
世界は不思議に満ち満ちています。私たちには、わからない、お手上げ状態です。
だとしたら、手を上げたまま、バンザイでもしてみましょう(笑)。
「この不思議な世界、バンザイ!」と。

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