返却
突然ですが、私たちは「借りもの」です。
裸一貫で生まれて来て、その後成長にするに従って色々なものを手に入れて行きますが、それらはすべて貸し与えられたものです。
大人になって自分で衣食住を得るようになっても、人様が作ったものを与えられて生活をしています。
いやいや、そんなことはない。
自分は自給自足をしているし、家は自分で建てた。服も自分で仕立てた…。
すべてにキチンと対価も支払っている。
しかし、例えば、稲を育てる水や光は、その人個人のものではありません。
その人が、水や光を生み出したわけでもありません。
家を建てる土地は? 服は?
土地も建材も服の生地も、その人が作り出したものは何ひとつありません。
私たちの体も「借りもの」です。
体を作っている細胞、細胞を作っている分子、分子を作っている原子、
そして原子を作っている素粒子…。
私たちの体を作っている素粒子は、宇宙を作っている素粒子です。
その素粒子から私たちは作られ、寿命を終えると、また素粒子に戻っていきます。そして、また新たなものに生まれ変わります。
すべては、宇宙からの借りものです。
私たちの人生は、借りもの競走のようなものなのです。
そして、借りたものは返さなければなりません。
対照的な二つのことわざがあります。
「あとは野となれ山となれ」
「立つ鳥跡を濁さず」
借りたものを使わせて頂き、それを返却するとき、あなたは上記ことわざのどちらを選ぶでしょうか?
どうせ自分のものではないのだから、使ってボロボロになっても構わないじゃないか。
いや、お借りしたものなのだから、借りた時よりきれいにしてお返しすべきではないか。
どちらを選ぶかは、もちろんそれぞれの自由です。
ただ、私たちは「借りもの」なわけですから、借りたものを粗雑に扱うということは、自分を粗雑に扱うことにも通じます。
次に使う方が、気持ちよく使って頂けるように、ピカピカに磨いてお返ししたいものです。
だってそれは、誰のものでもない、みんなのものなのですから。
 

閉じる