「悩みを巡る冒険 3」
悩みの源流はどこなのか?
それを訪ねて、悩みの川を遡(さかのぼ)っています。
現実の川は、どんどん遡って行くと、どんな大河も小さな小川となり、
さらに遡ると、いずれは川と呼べないようなチョロチョロとした水の流れになり、
そして、いずれは山の中に、あるいは大地の中に消えてしまいます。
悩みの川はどうでしょうか?
悩みの川も、その源流が自分にあり、
さらに遡ると、できているはずの自分にあり、
そして、そのできているはずの自分は、幻でした。
つまり、幻である「できているはずの自分」=「理想の自分」がなければ、
悩みは生まれないことになります。
では、「理想の自分」は、なぜ生まれてくるのでしょうか?
なぜ、「あるがままの自分」ではいけないのでしょうか?
それは、「あるがままの自分」に満足していない自分がいるからです。
「あるがままの自分」を認めることができないからです。
なぜ、「あるがままの自分」に満足できないのでしょう?
「あるがままの自分」が、美しくないせいでしょうか?
「あるがままの自分」が、優秀ではないせいでしょうか?
「あるがままの自分」が、うまく歌えないせいでしょうか?
「あるがままの自分」が、空を飛べないからでしょうか?
人は、自分ができないこと、持っていないものに目を向けがちで、
当たり前にできること、すでに持っているものには目を向けることが苦手です。
呼吸ができること、
今日も朝を迎えることができること、
風が吹いていること、
やるべきことがあること、
やるべきことがないこと、
生きる環境が与えられていること(もしくは、与えられていたこと)、
存在していること、などなど…。
もし、自分がここにいることに不満を感じなければ、
「理想の自分」という幻に囚われることもなく、
そのメッキが剥がれるときに、悩みを生じることもないのです。
川は、あるがままの姿でそこにあります。
(多少、人間の手は入っているとしても)
もっと大きな川になりたいとか、もっと流れを速くしたいとか思って、
いまある自分に不満を持ったりはしません。
そして、始まりの地で、自然に姿を消してしまうのです。
 

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