悩みの現実化
私たちは「悩む」という能力を持っています。
悩むことができます。
その能力を、積極的に使ったらどうなるでしょう?
ここに、Aさん(女性・47歳)がいます。
独身で母親と二人暮らし。経理関連の派遣社員をしています。
Aさんの目下の悩みは、将来に対する不安です。
仕事がなくなったらどうしよう。
貯金が底をついたらどうしよう。
親がボケてきたらどうしよう。
自分ひとりになったらどうしよう。
重い病気にかかったらどうしよう。
悩みは次々にいくらでも湧いてきます。
ふと気づくと、不安に身を焦がしている自分がいます。
Aさんはさらに悩みを掘り下げ、最悪の事態を想定します。
お母さんが亡くなり、天涯孤独になった自分。
体調を崩し、仕事もままならなくなってしまいます。
貯金も底をつき、食べるものにも事欠くように。
相談相手もおらず、すがる人もいず、病院に行くこともできず、
ついに、病の床から起き上がれなくなりました。
そしてひとり寂しく、死出の旅路に赴きます。
そんな静かな最期ではないのではないか、とも思い悩みます。
もしかしたら、激しい痛みと苦しみで、七転八倒しながら死んでいくかもしれない…。
Aさんの悩みは、それで終わりではありません。
死んでからも、まだ続きます。
地獄で永遠の苦しみの中にいる自分が思い浮かびます。
衆合地獄にいる自分、焦熱地獄にいる自分、無間地獄にいる自分……。
Aさんの悩みは尽きることがありません。
遺憾なく、悩みの才能を発揮しているAさんですが、
本人の現実生活はどうなっているのでしょう?
常に不安の中に身を置いて安心する時がなく、毎日が針のむしろのような、
それこそ地獄のような生活です。
不安や心配事が現実化してしまうことも、往々にしてあることです。
交通事故に遭うのが心配でたまらず、心ここにあらずでハンドルを握っている人が、前方不注意で本当の事故に遭ってしまうのと、変わりがないかもしれません。
私たちは悩むことができます。
しかし、その能力を使うことは、せっかく与えて頂いている「今」をないがしろにし、そうはなって欲しくない未来を引き寄せて、
現実のものとしてしまうことになりかねないのです。
悩む能力を持っていること、それに感謝をしつつ、
感謝するだけに留めておいた方がよさそうです。
 

閉じる