悩みの夜
「なんとか今日も一日、乗り切ることができました。
ホッと一息、自宅のお風呂にゆっくり浸かって、リラックスタイムです。
頭をからっぽにして、何も考えることなく、体の細胞がお湯の中に溶け出して行くような解放感を味わっていたのも束の間、 明日以降のハード・スケジュールが、頭の中に蘇って来ました。
明日の金曜日は、午前5時起床。7時までに出社。夜は顧客接待。
明後日の土曜日は、午前4時起床。6時発の新幹線で出張。戻りは最終の新幹線。
明々後日の日曜日は、仕事は休み。ただ、親子遠足で午前5時起床。お弁当作り。
夜は、義父母との会食。
はぁ、と深いため息とともに我に返って時計を見ると、もう午前1時。
早く寝なきゃ!」
これはAさんの、ある週末近くの夜の出来事です。
確かに、大変ハードなスケジュールが待ち受けています。
体が持つだろうか? とか、頭がキチンと働いてくれるだろうか? とか、
何より、しんどさに心が折れないか心配です。
ベッドに入ってからも、ニガテな顧客や交渉相手、義父母の顔が浮かび、
なかなか寝付くことができません。
それでなくとも、3~4時間しかない睡眠時間が、ますます減って行きます。
「眠らなきゃ」と焦れば焦るほど、眠りから遠ざかってしまいます。
そして、減って行くのは睡眠時間だけではありません。
貴重な「いま」という時間も、Aさんからどんどん失われて行きます。
明日以降のことばかり気にかけて、Aさんは「いま」に生きていません。
気になっている明日に生きることも、当然ながらできません。
ではAさんは、どこに生きているのでしょう?
悩みの中に生きているのです。
「いま」でもなく、明日でもなく、悩みの中に生きているAさん。
せっかく体と頭を休めることのできるベッドに横たわっているのに、
体も頭も休めることができていません。それどころか、心まで折れそうになっています。
まだやっても来ていない未来に心を砕き、「いま」をないがしろにする生活。
明日以降がハードであればあるほど、体と頭を休める必要があるのに、それとは逆のことをしているという現実。
「いま」やるべきことをすること、それが明日につながるのに、なんとも残念な ことです。
では、こういう時はどうすればいいのでしょうか?
諦めるのです。諦めて、居直ってしまうのです。
「まな板の鯉」になってしまうのです。
自分の常識からすれば、とてもハードでしんどいことですが、
そのような状況が用意されてしまったということは、
なんとかなる、ということでもあります。
本当に不可能なことであれば、そのような予定は組むことができないはずです。
自分の側から見るのではなく、用意された状況の側から見ると、
自分は選ばれた演者であり、選ばれたからには、自分にできないことではないと考えてみることもできます。
自分で自分に限界を設けることは、自分に対して大変失礼なことでもあるのです。
 

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