返却の仕方
私たちは「借りもの」です。
そして、「借りもの」であるなら、借りたものをいつかは返さなくてはなりません。
借りもの競走で貸し出されたものが、ピカピカになって返ってくるのか、うす汚れて返ってくるのか、
貸し出した側の立場に立てば、当然のことながら、ピカピカに磨かれて返って来た方が、嬉しいに決まっています。
ではどうしたら、ピカピカにして返すことができるのでしょうか?
例えば、腕時計を借りた場合はどうでしょう?
分解掃除に出し、ベルトも新しいものに換え、クッション付きケースなどに入れてお返しするのが普通かもしれません。お礼状を付け、場合によっては、お礼の品も用意するでしょう。
洋服なども、同様にして返すことができます。
では、食べものはどうでしょう?
いったんお腹の中に入ってしまった食べものは、どのようにして返却すればいいのでしょうか?
光は? 空気は? 水は? 肉体は? 命は?……
お返しが可能な洋服や時計にしても、いくらきれいにクリーニングしたとして、元通りに戻すことは不可能です。
お借りしていた年月だけ、くたびれてしまっています。
しかし、くたびれることは悪いことでしょうか?
時計も洋服も、それを身に着けることによって、その日の気分が高揚し、足取りが軽くなったことが何度もあったからこそ、くたびれてしまったのです。
長年にわたって自分の体を包み、寒さや暑さから身を護ってくれたからこそ、繊維はくたくたになってしまったのです。
汚れるから、くたびれるからと、たんすの中にずっとしまったまま使われないことが、その洋服にとっての喜びでしょうか?
役目を果たせないことの方が、洋服にとっては不幸なことではないでしょうか。
ピカピカにして返却するとは、ボロボロになるまで使い込むことです。
最後の最後まで、そのものの役割を果たしてもらうことです。
私たちも同じです。
最後の最後まで役割を果たし、ボロボロになるまで生きること、
それが自分にとっての喜びであり、貸主にとっても喜びになるのではないでしょうか。
光も、空気も、水も、食べものも、洋服も、腕時計も、肉体も、命も、
貸し出した甲斐があったと。
発明王と称されるトーマス・エジソンに、次のようなエピソードがあるそうです。細かいところは違っているかもしれませんが、お許しください。
功成り名を遂げた後も、不眠不休で研究を続けるエジソンに、周囲の人が「少しゆっくりしたらどうですか?」と声を掛けたそうです。
エジソンは答えました。「死んだらゆっくり休めるよ」。
さて、あなたの悩みは、どのような性格のものでしょうか?
お借りしたものを、目一杯使い込むための悩みでしょうか?
それとも、たんすの中に仕舞い込んでしまったが故の悩みでしょうか?
 

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