たんすの悩み
平穏無事を願う人がいるとします。
太陽が東から昇って西に沈むように、朝、勤めに出かけ、夕方、自宅に戻り、いつもと同じ一日を感謝しつつ眠りにつく。時は静かに流れ、何事もなく、季節はいつの間にか移って行く…。
しかし、何事もない人生なんてありえません。
朝、目覚ましが鳴らなかったり、通勤電車が遅れたり、約束をした相手が顔を見せなかったり、上司から小言を言われたり、お腹が痛かったり、体重が増えてしまったり…と、様々なことが人生には待ち受けています。
交通事故が怖くて外出を控えていたら、家にトラックが突っ込んできた、なんていう笑えない話もありました。
人は自分の人生を、自分の思い通りには送れません。
なぜでしょうか?
それは、思い通りに行く人生なんて、面白くもなんともないからです。
自分が意識できないことを越えて行くことこそ、人生の醍醐味です。
いやいや、面白くなくても構わない、自分は波風立てず、静かに何もせず過ごしたい…。
確かに、日々無事に過ごすこと、それも貴重なことです。
でも、例えば、人類史上誰も作ったことがないような極上のオムレツを作ることができる人が、それを作らずに終わるとしたら、どうでしょうか?
食材や道具の選択、調理方法だけではなく、極上の卵を作るところからこの人の才能が発揮されるはずだったとしたら、人類は多大の損失をこうむることになります。
損失をこうむるのは人類だけではありません。何より、この人自身も、「悩み」という形で損失をこうむることになります。
人類の役に立つことができたのに、その役割を果たせなかったわけですから、責任は重大です。
わたしには、そんな人類規模の才能なんてないから大丈夫、と思っている方がいたら、ちょっと待ってください。
野球の試合に例えてみましょう。
一死ランナー三塁で、バッターがセンター前ヒットを打ったとします。その時、三塁ランナーがホームに帰って来なかったらどうでしょう?
しかも、「いや、なんか走りたくなくて」という理由だったら…。
野球というゲームで、当然やるべきことをやらなかったら、それはブーイングの嵐です。三塁ランナーは批判の的になるでしょう。
このことが原因で、このランナーが悩んでいるとしたら、あなたならどう諭すでしょうか?
人生も同じです。
日々与えられる様々なハードルをクリアしようとせず、逃げ続けていたら、その人は悩み始めます。
当然やるべきことを回避しているわけですから、目に見えないファンの批判にさらされるのです。
人は与えて頂いた才能を使い切るようにできています。
才能とは、すべての人に与えられている役割のことです。
それを果たさずにいるとしたら、そこに悩みが生じます。
たんすに仕舞い込んだままでは、人生を終えることができないのです。
 

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