納 得
毎日毎日を精一杯生きていれば、悩みが生じるヒマがない。
そのようなことを前回書かせて頂きました。
今回は、それとは逆の話をしようと思います。
そんなに精一杯生きなくても、悩みは生じない、という話です。
生き急ぐように、日々のスケジュールを満杯にし、忙しいことが生きている証、というような生活をしている人がいます。その人の悩みは、ヒマになることです。スケジュール帳の空白が耐えられない、何もない時間が恐ろしいと、とにかくスケジュールを埋めようとしてしまいます。
睡眠時間も4~5時間で、確かに一日24時間を目一杯使って生きています。
一方で、忙しさが悩みの人がいます。
本人はもう少しゆったりと毎日を送りたいのに、次から次に予定が入ってしまい、休日も仕事や用事に追われているような人です。体がしんどい、自分の時間がとれない、それがその人の悩みです。
この二人の悩みは対照的なようで、実は根っ子は同じ、ということにお気づきでしょうか?
それは、日々のテンポが、自分の思い通りに行かないということです。
前者は、もっと忙しくしていたいのに、それが叶わず、後者は、もっとヒマになりたいのに、それが叶わない、という「自分の望みと現実とのギャップ」が、悩みを生んでいます。
人は自分の価値観に基づいて行動します。「忙しさ」に価値を置く人は、忙しく生きようとします。
ところが、現実が自分の価値観と一致するとは限りません。というか、一致しない方が断然多いかもしれません。
だとしたら、どうすればいいのでしょうか?
「精一杯生きる」と書きました。 これは必ずしも、忙しく生きる、という意味ではありません。
自分の置かれた環境が、多忙な毎日を望んでいれば、忙しく生きればいいのですが、もし、自分の置かれた環境が、ゆったりとしたスケジュールを望んでいるのなら、目一杯ゆったりと生きればいい、ということです。
自分の価値観主体ではなく、置かれた環境主体に生きる、つまり、与えて頂いた環境を精一杯生きる、という意味です。
わかりにくいでしょうか?
忙しいことに価値を置いている人が、今日は何も予定がないとします。外に出かける用事もないし、掃除も洗濯も食事の準備もすべて完了しているとしましょう。さて、この人は今日一日をどう生きて行けばいいのでしょうか?
ゆっくりと呼吸すればいいのです。
ゆっくりと陽を浴びればいいのです。
ゆっくりと眺めればいいのです。
ゆったりと風を感じればいいのです。
耳を澄まし、鼻腔を広げればいいのです。
特別なことが何もなくても、私たちは生きています。
与えられた環境が自分にとって必要な環境だと納得さえできれば、「自分の望みと現実とのギャップ」に悩むこともなくなります。

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