主人公3
他人が敷いたレールの上を歩いている人は、自分の人生の主人公とは言えないのではないか。
そのようなことを前回、書かせて頂きました。
他人が敷いたレールの上を歩いている人は、確かにそうかもしれません。
では、運命が敷いたレールの上を歩いている人は、どうでしょうか?
実は、すべての人が、運命が敷いたレールの上を歩いているとは限りません。運命が用意してくれた道を、キチンと進んでいる人もいれば、その道から脱線している人もいます。
どういうことでしょうか?
例えば、運命が「転職」というチャンスを用意してくれたとします。そのチャンスを活用するかしないかは、あなた次第です。もちろん、転職がすべてではありません。
例えば、運命が「敗退」というチャンスを用意してくれたとします。敗退した経験を活かせるかどうかは、あなた次第です。もちろん、敗退し続けることがすべてではありません。
例えば、運命が「笑う」というチャンスを用意してくれたとします。腹を抱えて笑うかどうかは、あなた次第です。もちろん、笑いをかみ殺すことも許されています。
例えば、運命が「愛する」というチャンスを用意してくれたとします。あなたの敵を愛するかどうかは、あなた次第です。もちろん、憎むという選択肢も残されています。
どの道を選ぶかは自由です。
ただ、運命からのせっかくのプレゼントを、無駄にはしたくないものです。
例を続けましょう。
例えば「失恋」。せっかく失恋の機会が訪れたのに、振られるのが怖くて、自分から身を引く人がいます。
例えば「叱責」。せっかく叱責してくれる人が現れたのに、怒りや恨みが先に立ち、反省をできない人がいます。
例えば「病気」。せっかく病気の機会が訪れたのに、暴飲暴食を止め、禁酒禁煙を実行できない人がいます。
例えば「チャレンジ」。せっかくチャレンジの機会が訪れたのに、怖気づいて後ずさりする人がいます。
例えば「食事」。せっかくおいしくいただく機会が訪れたのに、味わうことができない人がいます。
例えば「休息」。せっかく休息する機会が訪れたのに、休むことができずに疲れを引きずる人がいます。
確かに、他人が敷いたレールの上を歩いている人は、自分の人生の主人公とは言えないでしょう。
しかし、運命の敷いたレールの上を歩いている人は、自分の人生の主人公です。
なぜなら、自分の運命から逃げることなく、自分の人生を全うしているからです。
 

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