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「何もしなくていい日」と「何もすることがない日」
何もしなくていい日、そんな日を夢見ている人もいるのではないでしょうか?
特に、平日の朝、目覚まし時計の音とともに、重い体を引きずって起き上がるとき、「今日が休みだったら」と、つい甘い夢を見てしまう人もいるでしょう。
しかし、現実は、今日もやることが一杯です。甘い夢は振り払わなければなりません。
一方で、今日やることを探している人もいるでしょう。何もすることがない日なら、普段は面倒な頼まれ事でも、喜んで引き受けるかもしれません。
人は往々にして、いまの自分と反対のものを求めがちです。
多忙な人はヒマを、ヒマな人は忙しさを。苦しい人は楽しさを、楽しい人は試練を。暑い日は涼しさを、寒い日は暖かさを。
なぜでしょうか?
何かが極まりそうになると、それ以上は無理、という注意信号が点滅を始めるからかもしれません。
これ以上、忙しいのは無理。これ以上、ヒマなのは無理…。
そして、その人にとっての限界を越えると、それは悩みになっていきます。
自分はここまでしかできない、これ以上は我慢できないという限界。
しかし、本当にそうでしょうか?
本当にそれ以上、進むことができないのでしょうか?
限界と感じるのは、一方向からしか物事を見ていないからではないでしょうか?
「何もしなくていい日」と「何もすることがない日」。
休日を夢見る多忙な人が、「何もすることがない日」という逆方向から、今日という日を見たらどうでしょうか?
忙しい今日という日が、光り輝いて見えてこないでしょうか?
ヒマを持て余している人が、「何もしなくていい日」という視点から、今日という日を見たらどうでしょうか?
ヒマな今日という日が、貴重な一日に見えてこないでしょうか?
物事には必ず、表と裏の両面があります。
面倒なことも、裏から見れば、ありがたいことだったりします。
自分で限界を設定する前に、一度、逆方向から、反対側から、視点を変えて見つめてみてはいかがでしょう?
 

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