占いを もっと活用する

同じ生年月日の人は、同じ運命?

四柱推命やホロスコープなど、生年月日を基にして占う運命学は数多いですね。

でも、同じ生年月日の運命について、
きちんとした答えを持っている占術は、そう多くないはずです。
 数年占いを勉強した程度の人なら、
だいたい「厳密に見れば時間が違う」という論理でお茶をにごします。
でも、じゃあ、時間も同じなら? と突っ込むと、
場所とか名前とか、関係ないものを持ち出して、迷宮入りにしてしまうようです。

同じなのか違うのかという一言でいいんですが。あなたはどう思います?
 ここがビシッと解れば、その瞬間から、
吉だ凶だと運命を気にして翻弄され続ける人生とはサヨナラできるんですが。

辰宮の答えは
「同じ。生年月日が同じなんだから、基本的には同じだよ」です。
 「ただし、同じ環境にいない限り、まったく違って見えるでしょう」
という一言を付け加えましょうか。

「基本的には同じ」でも、「違って見える」という辺りがポイントなんですが。
スッキリ解りますか?

前章でも明言した通り、運命は、いくらでも変えられるものです。
いえ、決まっている部分と創ることのできる部分があると言った方がいいでしょう。

創れる部分?

もちろん、決まっている部分とは「宿命」のこと、
作れる部分とは「環境」のことですよね。
この「環境」を使いこなせれば、恐いものなしだと思いませんか?

環境には、どんな家系に、土地に、時代に生まれたかといった、
動かしようのない『先天環境』と、
人生行程で経験する『後天環境』というふたつの要素がありましたね。
先天環境とは、どんな国に、家系に、土地に、時代に生まれたかといった要素。
それに対して、名前、教育、友だち、恋、仕事、趣味など、
後天的に影響を受けるあらゆる事柄が、後天環境でした。(→参照

そして、宿命・先天環境・後天環境の3つの要素がかけ合わさって
「運命」というものができあがるということでした。

同じ生年月日、つまり宿命を持って生まれても、
環境が変わればまったく違う運命になるということですね。

前章では、ヒマワリにたとえましたが、さらに簡単に考えてみましょう。

ハスの種をどこに蒔くか? 

池か、砂漠か、湿地か、森の中か、畑でしょうか…。そりゃ池ですよね。
蓮の種を、砂漠に蒔いても芽は出ないでしょうし、
サボテンが長雨にあえば腐ってしまいます。わかりますか?

ですが、植物と違って人間は動くことができる。
砂漠のような家系に生まれたとしても、水にあたるような環境を選べるのです。

じゃあ「いったい私にとって良い環境って?」と思う気持ちはわかります。
でも、もう少し待ってくださいね。

あなたがあなたとしてあるために

ひとつ質問をしましょう。
「あなたは誰?」

もし、スパッと答えられなければ、
自信がない、発想が貧困、目標が確立できていない、
応用力や判断力に欠けているなどの可能性が高いですよ。

自信を持って「私は私!」と言えたあなたなら、占いに振り回されないでしょう。
もしそうじゃなければ、占いに頼っちゃいけません。
確かに占術はヒントをくれます。
でも、失敗を占いのせいにしたり、占いを怖がって行動しないのは間違いです。

自分の選んだ道、あなた自身の選んだ道が正しいんですよ。
仮に、それが失敗であったとしても、未来へのデータになるでしょう。
占いを盲信すれば、判断力も応用力も創造力も鈍ってしまう。
自分で考えられなくなる恐れすらあるのです。

占いというものは、ヒントのひとつとして利用すればいいと思います。
主役はあなた。

自分の選んだ道を信じて、そこで体験することを知恵の源泉とする。
そんな人生が正しいのですよ。

宿命だって

人生とは膨大な要素が作り出すもの。
宿命ですら一つの側面に過ぎません。

あなたは「あなた」であって“宿命さん”じゃないわけです。
個性も、価値観も、感情も、ぜんぶ自分のもの。

人生は自由です。どの道だって選べます。
たしかに、宿命の要素と、後天的な環境のエネルギーが、
性格を作り考え方を作り、感情の傾向などを作ってきたでしょう。
でもね、何度も言うように、環境は選べるわけです。
その環境を選ぶのは、他でもない「あなた自身」じゃありませんか。

人生は選ぶ自由とともに、選んだあとのことには
『自己責任』を取るというルールのもとに進んでいくものでしょう。
環境を選んだあなたには、それを選んだという責任がついてくるのです。

自分は不幸だと思い込む人も多いですよね。
そして、その理由を占いに求めたりします。
「どうして不幸なんでしょう?」なんてね。

自分には責任がなくて、生まれ持った星が悪いんだと思い込んでいる人が多いんです。

でも、よ〜く聞いてみると“不幸”の原因のほとんどは、
怠け・我の強さ・冷たさ・執着・恨みや妬み・
計算高さ・慢心・傲慢さなんてものが多いんですね。

これ、考えてみると、いくらでも改善できる面なわけです。
「そんなの、宿命や環境に関係ないよ。自分の努力じゃん。」と言うのですが・・・。

占いの秘密 当たるってどーゆーこと?

運命を論じていくのもこれと似ているのです。

さて、占いは当たります。
性格なんてドキリとするほど当たってたりしますし、
辰宮が、雑誌などで連載させていただいているページへのお便りに
「見てたんですか?」なんて書いてあったり。

う〜ん、そんな評価に水を差すようなんですが、
じつは、占いが正確に100%当たるということは有り得ません。
特に、本や雑誌に載せるレベルの占いでは無理なのです。
でも、読むと当たってるわけで…。え? これっていったい?

当たると言われている占術は、誰が読んでも、たしかにわりと当たっているものです。
ところが、よく見てみると、そこに書かれているのは、
「忙しい」とか、「出会い」とか、抽象的な“象徴”なんですね。

---何年何月何日の何時に、リビングの東の窓から首を出すと、
そこに美しい人との出会いが待っている。
その時あなたは「もう昼ですね」というでしょう。---

なんて、具体的なことは書いてはいないはずです。

いや、雑誌などに書かれる占いでは、具体的なことなどわかりはしません。
象徴までしか出せないのが本当なのですよ。

当たったから?

ところが読者は、無意識にその象徴を自分にあてはめるんですね。
たとえば“忙しくなる”と書いてあったとしましょう。
でも、“何によって忙しくなるのか”とか“どのように忙しいか”までは、
なかなか書けません。

誰かが休んでその分忙しくなるのか、イヤなこと山積みで忙しいのか、
楽しいスケジュールいっぱいで忙しいのか、わからないでしょ。

でも、なんか自分の中で“忙しい場面”を思い浮かべてしまったりします。
そして「当たってる」と思う・・・。
これが、当たる占いのシステムというわけです。

でも、当然ながら、忙しくない人もいるわけですよね。
その人にとっては、当たらないということになります。
雑誌程度の占いでは、
60%くらい象徴が当てはまれば大成功といえるのではないでしょうか。
だいたい、雑誌や本になっている占いが、
個人のことを具体的に当てるなんて、できる方がおかしいんですよ。

もっと言うなら、「当たったからナニ?」
「当たったら幸せになれるの?」じゃありませんか?

とはいえ、せっかく占いを見るのですから、きっちり利用しましょう。

雑誌やウエブの占いを利用しよう

占いの『価値』は、当たることにあるんじゃないわけです。
占いの象徴は、あなたへのヒントなんです。
占いに出てきた象徴を、どう使うか。そこに占いの価値があるんですよ。

雑誌系の占いには、どんな占いでも、必ず感情的とか、多忙だとか、
その週や月の運気を象徴するキーワードが書いてあるものです。
それをよく読み、今の状況にあてはめ、応用することが大切なのです。

しかも、象徴なんて、そう複雑なものじゃありません。
ちょっとアタマを使いましょうよ。
この文章の流れは、何を言いたいのかな? なんてね。

だいたい、文章に書かれている流れを分類すれば、

変化/継続  ゆっくり/速い  安定/不安定
隠れる/表出する  順調/波乱  積極/受動
準備/実行  発表/学習  壊す/守る…。

せいぜいこんな感じに分かれてるはずです。それを読み解いていくことが大切ですね。

たとえばこんな風に

たとえば、もし「凡ミスに注意して」なんて書いていたら
『不安定な時期なんだ』と考える。
そこで、いつもより注意深く『安定指向』で過ごしてみる。
それで、あるていどミスは避けられるでしょ。

逆に「新展開・積極的に」なんて、変化を暗示するような象徴で、
なおかつそれを肯定するような文があったら、
継続を捨てて、変化を選ぶのです。

そうすれば、少なくとも開運の切っ掛けにはなるものです。

今週は、変化を表す言葉が多いのか、
それとも変わらない、継続、普遍なんて感じの言葉が多いのか、
そのあたりを「読んでいく」のです。

ちなみに「シンラカイ」の占術では、わりとていねいに、象徴だけに
とどまらない解説を心がけていますよ。

ちょっと高度な運命の読み方

さて、万象学を始め、東洋の正統なる占術は、「干支」=かんしの暦を使います。
えとと読んじゃいけませんよ。
宿命もまた、干支で構成されているものです。

宿命×環境=運命でしたね。
じつは、環境の柱となるものが「後天的に巡ってくる干支」なのです。

つまり「宿命の干支」と、「後天的に巡ってくる干支」が交わるところに、
運命の基ができてくるということなのです。
そこに、さまざまな象徴が現れるわけです。

もちろん、環境とは、巡りくる干支だけではなく、
あなたの出会うすべてのものが環境です。

さて、言ってみれば、ウチで連載している占術や、
雑誌や本に書かれているレベルの占術は、環境に対するものは不完全です。
ですから、ある程度、他の環境を予測していかないと、いいものが書けませんよね。

とはいえ、もちろん大まかな環境はわかります。
日本の国や社会の動きを観ればいいのですから。共通でしょ?

だから、占者は社会や大自然の動きを、いつも勉強しておく必要があるのです。

象徴はこうして出てくる

それはいいとして、たとえば、あなたが所属する星、
たとえば「森の人」のところに
「発展」を起こすエネルギーを持つ干支が巡ってきたとしましょう。

すると、その星=森の人は“それぞれのレベルで”発展することになるのです。

とはいえ、干支からでてくる気は、プラスにもマイナスにも作用するわけですよ。

もし「新出発」という動きを与える干支が巡ってきたら、
良くも悪くも出会い=新出発があったり、

気持ちがふっ切れたり=新出発、新しい悩みに直面したり=新出発と、 良い方向にも悪い方向にも新展開、
つまり新出発のエネルギーが訪れやすくなるわけです。

もしそうであったとしても、そこまでの占いなら、
極論を言えば、あってもなくてもいいレベルのものです。
新出発はわかった。でも、だからどうなのよ?
ですよね。

そこからさらに「こうすれば?」というアドバイスがなければ、
少なくとも「いい占い」とは言えません。
ということは、今までの状態はどうだったかが重要になりますよね。
今度は森の人の、過去から現在までの状態をはじき出してやると。
そうして「象徴」は算出されるのです。

六甲法の“今週の運育て”や、花宮の“今月のあなた”や“明日のあなた”には、
象徴から、さらに「たぶんこんな部分が必要だろうな」という推理のもとで、
アドバイス的なものが書かれているわけですね。

運命的にいちばんマズいのは

ちなみに、「いつも当たってる」という人は、
運の流れがスムーズだと思っていいんじゃないですか。

シンラカイの占術の本文は、
「宿命」と「干支の気」だけを使って作られているものです。
つまり、あなたのいる環境はわからないわけです。
それだけで当たるんですから、いい環境にいるということでしょ。

いやいや、たとえ「苦しみ系」の方に当たっていたとしても、
大きくずれているわけじゃないんです。

運命的に、いちばんいけないのは“ズレ”なんですね。
まったく象徴を無視するような流れになっている場合。
これは、いってみれば、天地のエネルギーから恩恵を受けにくいということなんですよ。

一年に四季があるように、運命にも整然とした流れのようなものがあります。
たとえば、同じ六甲のAさんBさんに、同じ象徴がまわっていても、
別の角度(個人的な運気では)では、
Aさんの運気は夏で、Bさんは冬だったということもあるわけです。

なにせ、宿命は、細かく分ければ350万通りにもなりますから。
それでも、単純な「六甲法」や「花宮」程度の象徴が
合っているかいないかということで、ズレているかどうかはわかるんです。

いえ、大まかなレベルでさえズレてしまうことは、かなり問題なのですよ。

ちなみに、お解りとは思いますが、
当たるかどうかは重要ではなく、運を良くすることが重要ですよ。
ここで、象徴に合っていることが正しいみたいなことを言っていますが、
「お前ら、当たると言え」というわけじゃありませんよ(笑)。

こんな例も・・・

さて、これは実話なんですが、
何かの雑誌の占いを読んでいたら
恋愛運のところに「モテます。出会いもありそう。」
なんて書いてあったらしいんですね。

ラッキーと喜んでいたら、
変な男に追いかけられてひどい目に遭った(爆)そうです。
本人は、もう怒っちゃって、
「ぜんぜん当たってなーい」と叫んでいました。

でもこれは、たしかに「出会う=変な男に」「モテる=追いかけられる」という
象徴の範囲は満たしているんですよ(笑)。
つまり、当たってると・・・。

それはいいとしてですね。
もし、そう書かれていたのに、出会うチャンスすらなかったら、
これは象徴が生きていません。

せっかく「モテる」って出ているんですから、
いい人と出会えそうな場所に行き、少しでも魅力をアピールしなくちゃ。
そんな努力があって初めて、幸運というものは自分にやって来るのです。

シンラカイのさまざまな占いは、当てるために連載してるんじゃないわけです。

少しでも参考にして行動することで、
運を開いてほしくて連載しているのですから。

プロのつぶやき

地球は整然と変化し続けている。
必ず東から陽が昇り、夏は暑く冬は寒い。

こんな本当に単純な、当たり前の法則が、形を変えて人生を動かしているんです。

人生は、男女の差異だとか、経験の多少だとか、才能の種類だとか、
幾つかの単純な要素が複雑に絡み合って成立しています。

そのうちのひとつが、宿命です。

宿命の中には、人生を造る様々な要素が入っています。
言ってみれば卵であり種であるわけです。

種には、芽も、葉も、幹も、枝も、花も、実も、
花に来る蝶や、こずえにさえずる鳥たちも見えません。

しかしそれを予測する。

ここに、占術や思想哲理、また占術家の優劣が集約されるわけですな。

それを予測したところから、未来へのアドバイスを生むことができるわけです。

ま、もっともそこまでの観方は、
個人のコンサルティングでしかできませんけどね。

先天環境も

ちょっと難しかったかも知れませんが、
運命の仕組みが解ってきた人も多いでしょう。
宿命×先天環境×後天環境=運命という図式も、
別に難しいものじゃないですしね。

もし、鍛えられるべき宿命の者が、幼くして苛酷な環境を与えられれば、
それは自然で幸運なことです。

ですが、厳しく育てられるべき者が、
ひ弱な両親に気を使われながら育てば、冷酷になります。

また、豊かに優しく育てられるべき者が、
貧乏で殺伐とした家に育てば、卑下心と反発心で、ひねくれた人生になります。

同じ宿命でも、生まれた時の環境によって、運の核は違ってしまうのです。

しかし、なぜ「先天環境」は人によって違うのでしょう。
じつは、それもまた、偶然ではないのです。